野菜 安いを考え直す

食=安さ追求考え直すとき
 2008年1月末に起きた中国製の冷凍餃子中毒事件に端を発して、日本の「食」は大きく揺れている。二月の中国産野菜の輸入量は対前年同月比で三三%減、一月と比べて二九%減だ。また、全国二十二のJA(農協)の農産物販売所の二月の一日あたり売り上げは、一月より二四%も増えている。こうしたデータからは、加工業者も消費者も中国産を避け、原産地が確保できる野菜を求めているように思われる。
 しかしながら、それは一過性のものではないかという疑念をぬぐいきれない。食の問題に限らないが、日本人の思考も行動も極めてうつろいやすいからだ。1993年の大冷害を受けて翌年のコメの産直や共同購入に加わった消費者の大半が、豊作であるとわかった途端、解約した事実を忘れるわけにはいかない。
 多くの人々が安い野菜を求めようとする気持ちはよくわかる。しかし、それは間違いなくどこかにしわ寄せをもたらす。たとえば、零細な下請け業者であったり、農民であったり、発展途上国の労働者であったりだ。
 日本のコメは高いというサラリーマンが多いが、お茶碗一杯のの値段が25〜30円であるという事実を知らない。
 多くのスーパーや生協は安全・安心・安価をアピールしてきた。だが、この三つの「安」は本当に共存するのだろうか?
 人間にも環境にも安全な食べ物を作り、食べる人に安心してもらうために農薬や化学肥料を使わない。堆肥を作って土を豊かにし、病気や害虫が発生しないようにつとめる。当然、手間がかかる。それに見合った再生産が保証される価格で販売できなければ生産者はやっていけない。また、国産原料で加工品を作れば輸入原料より高くなるのは、いうまでもない。安全で安心な食べ物を手に入れるためには、適切な価格を支払う必要があるのだ。
※大江正章(おおえ・ただあき)ジャーナリスト、出版社「コモンズ」代表、神奈川県生まれ、早稲田大学政治経済学部
(2008.3.25北海道新聞の夕刊より一部抜粋)