青函連絡船とは

 青函連絡船は、日本にあった鉄道連絡船のひとつで、その名のとおり本州の青森と北海道の函館とを結んでいました。
 明治末期、上野ー青森間等を運航していた日本鉄道が、青森ー函館間航路の営業を企画してイギリスに蒸気タービン船2隻を発注、この2隻が鉄道国有化で国鉄に引き継がれて、1908年(明治41年)に比羅夫丸、田村丸として就航、これが国鉄青函連絡船のはじまりとなった。
 北海道開拓事業の本格化で輸送力増強が望まれ、1925年(大正15年)から船の中に線路を敷き、貨物を貨車ごと積み込む「車両航送」という輸送方法を採用、その効果は絶大で、積み下ろし時間が大幅に短縮されたため、北海道の水産物が関東・北陸まで運ばれるようになり、流通革命と呼ばれました。
 以後、建造された青函連絡船はすべて車両航送船で、戦災による全滅、洞爺丸台風(昭和29年)という不幸を乗り越え、1988年(昭和63年)3月13日に青函トンネルにその役目を譲って終航となるまで、80年にわたって本州と北海道を結ぶ大動脈として活躍しました。
 80年間に約90隻が就航、総運航回数718,239航海、運航距離80,894,813キロメートル、輸送旅客161,127,982人、輸送貨物246,976,302トン
函館市青函連絡船記念館のパンフより抜粋)書いていて懐かしく感じる。