新島襄の脱国背景を解説

米国へ密航150年・・・函館で記念講演会「港混雑しチャンス」
 新島襄・パストの会(千代肇代表)の主催で、函館市民ら約20人が出席した。新島はキリスト教の精神や西洋の先進技術を学ぶため、国禁を破り、1864年(元冶元年)に密航。帰国した翌年の75年(明治8年)に、京都で同志社大の前進となる同志社英学校を設立した。
 岸代表は講演で、新島が密航した当時、国内で外国排斥の運動が盛んだったため、横浜港に外国船が入港できず、代わりに箱館港に多くの船が寄港していたなどの背景を語った。「当時の箱館港は混雑しており、脱国のチャンスが大きかった。新島はこの状況を敏感にキャッチしていた」と指摘した。
 講演終了後は、市内大手町の新島襄海外海外渡航記念碑前で、恒例の記念祭が開かれた。ハーモニカの演奏などを通じて新島の功績を振り返った。
(2014.07.18北海道新聞夕刊より抜粋)