函館大火とは

■強風で拡大2166人死亡した。被害額は現在の860億円相当
 函館は幕末の開港で急速に発展し、函館港近くに木造住宅が密集していたため、ひとたび出火すると大火災を引き起こした。100戸以上が焼けた大火は明治以降28回に上り、これまで最大の大火が1934年(昭和9年)3月21日の火災だった。
 午後7時ころ、函館市住吉町の民家から出た火は、最大瞬間風速39メートルの強風で瞬く間に燃え広がり、2166人が死亡。地震と空襲を除く火災では、明治以降、国内最悪とされる。焼死のほか、逃げる途中に木造の橋が燃えて川に転落したり、避難した海岸で高波にさらわれた溺死もあった。
 当時の市街地の3分の1にあたる長さ4キロ、幅1キロの広さが燃え、2万4186戸を焼いた。全市民のほぼ半分の約10万2千人が被災し、被害額は約1億2400万円(現在の約860億円に相当)に上がった。
 毎夏に開られている函館最大のイベント「函館港まつり」は、この大火からの復興を願って昭和35年に始めて開催され今年8月、第76回を迎える。
(2014.03.17北海道新聞より抜粋)