わずか1・5%の重み

 わずか1・5%にすぎないものが、何とか40%の食料自給率を支えている。そこを忘れないでほしい。
 前原誠司外相が先日のシンポジウムで、日本の国内総生産(GDP)の1・5%しかない第一次産業を守るため、残る98・5%の多くが犠牲になっていると発言した。
 農業の市場開放問題が足かせの一つとなって、日本が自由貿易協定(FTA)といった貿易自由化交渉で出遅れているのは事実である。外相の発言はこれに業を煮やしたものだろう。
 だが、暴論だ。交渉のテーブルにつく前から、この言い草では、農業・漁業団体が「切り捨てられる」と悲観するのも無理はない。
 食糧危機が起きると、「金さえ出せば食料は手に入る」という考えは通用しない。穀物価格が暴騰した2年前、輸出国が次々に輸出制限に踏み切ったことは記憶に新しい。
 今年も干ばつの被害を受けたロシアが小麦などの禁輸措置発動した。
 禁輸は自由貿易に反する。日本のような食糧輸入国は、輸出制限への歯止めを世界貿易機関WTO)で働きかけているが、成果は上がっていない。
 不作に見舞われた時、自国民を犠牲にしてまで生存に不可欠な食料を他国に供給してくれる国などないからだ。
 自然に左右される農業や漁業がいったん衰退すると、回復は難しい。人間の手で制御できる他産業と同列に論じることはできない。
(2010.10.26北海道新聞夕刊「今日の話題」より抜粋)