川田 龍吉 男爵

◎川田 龍吉男爵(かわだ りゅうきち)安政3年〜昭和26年
土佐出身で、父小一郎は三菱創設者 岩崎弥太郎の片腕として活躍した三菱事務総監・日本銀行3代目の総裁を成し遂げた人物である。川田 龍吉は明治10年造船技術を学ぶためイギリスに留学し、明治30年横浜ドックの初代社長に就任。明治34年横浜でアメリカ製の蒸気自動車を購入し、日本初のオーナードライバーとなる。明治39年函館ドック再建のため北海道に来た。実業家として手腕を発揮するかたわら、函館の隣町当別に試験農場を作り近代農業を実践。函館の隣町七飯農場ではじゃがいもの試験栽培を行いこの中のアイリッシュコプラーが「男爵いも」と呼ばれ全国に広まった。
◎明治時代のLove Letter「男爵いも」にかくされた恋の物語
川田 龍吉は21歳(明治10年)の時船舶技術の知識を学ぶため渡英いた。留学中イギリス人女性と知り合い90通にも及ぶラブレター(男爵資料館で展示されている金庫から発見される)を受け取っています。デートの時など2人でよく暖かいじゃがいもを食べていました。
結婚まで約束しておりましたが当時、国際結婚は難しく、川田 龍吉はこの恋をあきらめて7年間の留学を終え帰国しました。波乱に富んだ人生と共に川田 龍吉は92歳でトラピスト修道院(函館の隣町当別)で洗礼を受け95歳(昭和26年)の時、この地当別で亡くなりました。
男爵資料館の1Fには昭和53年に復元された日本最古の車ロコモビル蒸気自動車は、世界でも現存する物は少なく貴重とされている。その他大型農機具が展示されている。
2Fには男爵いもや西洋野菜作りの為の実験道具や米国の農業専門雑誌などの参考資料。
3Fには珍しい農業専門道具類がある。それは何事にもこだわり続けた男爵の人生そのものです。