洞爺丸50年前のあの日(総編)

1954年(昭和29年)9月26日青森から乗客を乗せ、11時05分に函館へ到着した洞爺丸は、台風15号(通称・洞爺丸台風)を警戒して14時40分の出港を見合わせていた。
乗客を乗せたまま、函館港に待機すること実に4時間。
運命の銅鑼(どら)が鳴り響き、洞爺丸が青森へ向け出港したのは、18時39分。
船には乗客1167名、乗組員147名が乗り組み、ほぼ満員状態だった。
青空がのぞき好転したかに見えた天候だったが、出港して間もなく、暴風雨に見舞われる。
洞爺丸は、18時55分函館港西防波堤灯台を通貨直後、航海続行の危険を感じ19時01分西防波堤灯台から方位300度1574mの地点に錨を入れ仮停泊した。
普段であれば、錨を入れた船は静かなもの。
だが、この日の船は違った。風速計の針は突風が吹くたび激しく揺れ、瞬間風速は58mにも達した。
船を飲み込むかのように襲ってくる高波は、船尾から船内へと浸入。
船底にある機関室では、排水ポンプを使って海水を排出する懸命な作業が続けられた。
やがて浸水によりエンジンは使用不能となり、22時26分座礁
最後の命綱だった左舷錨のチェーン切断横転。
22時39分沈没。洞爺丸・第11青函丸・日高丸・十勝丸・北見丸の5隻、乗務員379名、乗客1051名の計1430名の犠牲者が出た。
読者の要望により簡単に書きました。