青函連絡船洞爺丸はなぜ沈んだか(後編)

あー、青函連絡船洞爺丸はどこまで不運が続くのか。
「SOS」は海上保安部もキャッチしていたが、襲いかかるうねりのために、どうしても動けない。
20時35分青函連絡船北見丸が港外で満載した貨車とともに横転沈没。
そのころ洞爺丸は右舷45°に傾き船内の電灯はすべて消えた。
その時突然船は右に大きく傾いた。ついに最後の命綱だった左舷の錨のチェーンが切れたのだ。
そのまま洞爺丸は真横に近い状態で倒れた。
チェーンが切れた瞬間すべての乗客はが右舷側に叩きつけられ、やがて洞爺丸の4本の煙突もマストも完全に水中に没し、代わって赤く塗られた船底が波の上にのぞいた。
洞爺丸は4本の煙突を斜めに砂へ突き刺すかたちに転覆沈没し残念ながら1155名の犠牲者をだしてしまった。七重浜沖約600mの地点です。
23時32分日高丸が「SOS」を発信直後沈没。
23時36分十勝丸は「SOS」を発信する余裕もなく沈没。
五船合わせて犠牲者1430人はイギリスの船タイタニック号の1490人に四敵するものでした。
以上で終わりますが、洞爺丸乗客の行動は気の毒で書けませんでした。
同じ青函連絡船乗組員として深く哀悼の意を表明します。
今年は慰霊碑の清掃に行けなかったが、あれから50年・・・・・。