青函連絡船洞爺丸はなぜ沈んだか(中編)

18時30分函館出港した洞爺丸だったが、青空だった空は鉛色に変身していく。
防波堤を出たとたん風速40mを超えてきた。
19時01分危険と感じた船長はアンカー投錨右舷200m、左舷175mの双錨泊の指示だが、まさかのアンカー走錨が始まった。
右舷・左舷エンジン全速前進の指示が機関部に飛ぶ。
18時00分奥尻付近で台風の速度は遅くなり気圧は発達し958mbとなった。
20時00分頃第11青函丸はうねりを受け船体は三つに折れ沈没、90名の乗組員全員が海中へ没した。
その頃洞爺丸では機関室天井の脱出口・天窓・石炭搬入口などの隙間から海水が入ってきた。
ますます引きずられる洞爺丸。 気圧956mb、風速58m、台風速度40Kmとなる。
機関長の指示が飛ぶ「エンジンはぶっ壊れてもいい、タービンノズル全開で回すのだー」。
機関室天井から豪雨のように海水が降ってくる。
とうとう床に溜まった海水が1台の発電機に接触した。
雷のような凄まじいスパークで発電機1台停止した。
プロペラを回転させるエンジンは高速回転に耐え切れず異常振動を発生。
洞爺丸より函館桟橋へ打電「洞爺丸エンジン、発電機止まりつつアリ、現在風速55m」。
両舷のエンジンが停止した洞爺丸は錨を引きずって北の七重浜へ向かって流されていく。
20時12分船長は「よし、このまま七重浜座礁する」
打電「22時26分七重浜座礁せり」と、乗客も乗組員も安心した。
しかし大きく傾いたまま座礁した洞爺丸は横倒しになると判断し22時40分『SOS洞爺丸』を打った。
七重浜から800m沖は水深11mで座礁するはずのない場所だったが、台風で海底がうねりのため変形し水深を5mに変えたそこへの座礁が悲劇だった。